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まめちゃんとおひるね

黒柴のまめとのんびり、ゆったり暮らし。 粘土でお花を作ったり、編み物やバンダナ作りをしています。
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五郎兵衛用水(長野県佐久市)

おはようございます♪
ご訪問ありがとうございます。

今日は、祝賀パレードがありますね。
穏やかな秋晴れ、素晴らしい日になりそうです。

私の実家とご縁のある、長野県佐久市(旧浅科村・五郎兵衛新田村)にある
五郎兵衛用水のご案内です。

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2018年に世界かんがい施設遺産になった「五郎兵衛用水」は、
江戸初期に完成した全長約20㎞の灌漑用水です。

南牧を根拠地とする土豪だった市川家は、元々は、武田信玄に仕えていました。
その時の武功により、佐久地域を領地として与えられました。

幾つもの戦いを経て、徳川家が天下統一を果たした後は家康の仕官要請を断り
戦によって得た土地に頼る生き方をやめ武具を鋤鍬に持ち替え、辺境の地で生きる術を模索しました。

家康からは、その志に徳川家の領地で有れば何処でも鉱山開発をして良いとの御朱印状を頂き、
武田時代に培った鉱山技術で、金山や砥山開発を行いました。

この地で掘り出される砥石は、刀を研ぐために良質で珍重されていたそうです。

その後、20年余りの準備期間を経て小諸蕃の許可を得て用水・新田開発に着手しましたが
難工事のため工費が増大し、私財二万両の資金が底を着くと
「資金は十分に有る」と見せ掛けるため、
馬の背に砥石を詰めた千両箱を運んで安心させ、工事を続けたそうです。

5年の歳月を経て、疎水百選として今に伝わる五郎兵衛用水は完成しました。

用水は現在に至る350年もの間、400haの水田を潤すのみならず
生活用水や防火用水として、受け継がれ守られています。

五郎兵衛記念館が作られ、そばには真親神社があり
五郎兵衛さんは、神さまとして祭られています。

南牧市川家は、鉱山開発で得た富を新田開発に費やしました。
その後、没落しましたが父と母が力を合わせ名誉を回復させました。

五郎兵衛さんは、晩年には仏門(圓心)に入り、94歳の生涯を閉じました。


五郎兵衛の辞世
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   父の「小欲知足」は、通じるものがあります。


先日、まめパパが父の遺言を携え、同級生3人と一緒に記念館に訪れました。
私は、両親と何度かお伺いしています。

五郎兵衛桜と新田
    五郎兵衛記念館より、五郎兵衛桜・浅間山・五郎兵衛新田

旧用水トンネル
    案内してくれた、根澤館長さんと取水口付近:旧用水トンネル部


五郎兵衛米はブランド米で、粒がしっかりした「こしひかり」です。
実家には、秋の収穫が終わると浅科村の方々が、五郎兵衛米を携え訪ねて来てくれましたので、
私も覚えています。
お寿司のシャリにぴったりだと、お寿司屋さんでは引っ張りだこだそうですよ。

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そのお話は「佐久の水音」に、歴史小説として書かれています。
 
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ご先祖さまの偉業を、父(18代当主)の供養にと書き留めました。


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【 2019/11/10 】 その他 | TB(0) | CM(2)